【画像20選】矢野顕子の若い頃が超美人!髪型も超個性的でオシャレ!

矢野 顕子(やの あきこ)さんはシンガーソングライター

10代からジャズミュージシャンを目指していました!

最近では『やのとあがつまJapan Tour 2024宮城公演』の会場に羽生結弦さんからお花が贈られていたことでも話題です!

そんな矢野顕子さんの若い頃が気になりまとめてみました!

早速見ていきましょう!

目次

矢野顕子の若い頃画像まとめ!

『ごはんができたよ』このアルバムのラスト”YOU’RE THE OME”の英語部分は矢野さんの天才ぶりが溢れていて最高と言われています。

DAVID SYLVIAN とのデュエットの 「GOOD NIGHT」も素敵な1曲と有名です!

https://twitter.com/STELLAPEZZ/status/1643168045945479168

矢野さんは坂本龍一さんと結婚していました。

『春咲小紅』は坂本隆一さんの編曲なんですね!

https://twitter.com/citylights_2024/status/1243730073376542720

坂本龍一との共同アレンジがちょっと不思議で可愛らしくて魅力的。

『オーエスオーエス』のアルバムジャケットは篠山紀信氏が撮影

『峠の我が家』1986年2月ミディから発売された第1弾のオリジナルアルバム。

坂本龍一共同プロデュース

『ラーメンたべたい』も名曲!

『PIANO NIGHTLY』これに入っている「愛について」(友部正人の曲)、本当にいいカバーで毎回目頭が熱くなると言われています。

「SUPER FORK SONG」本作は全曲ピアノでの弾き語りで編成されたカバーアルバム。

原曲の影が見えないほどにアレンジを加え、カバーした曲全てを自分のものにしているのが素敵です。

『love life』何かを包み込む温もりがあり涙が止まらない

『春咲小紅』化粧品CMタイアップでもあった。

素敵なポップな春ソング!

yaya

矢野顕子さんの曲は懐かしく、涙がこぼれてしまう素敵な曲ばかりですね。

矢野顕子の若い頃エピソード

矢野顕子さんの若い頃からの生い立ちを見ていきましょう!

矢野顕子さんX

3歳から音楽教室に通い始め、小学校の高学年まではその教室でピアノを習った。

両親とも音楽好きで父はハワイの民族音楽や南米のラテンミュージックといった洋楽が特に好きだった。

ラジオでも音楽が流れて音楽に触れる機会が多かった。

徐々にジャズが好きになって、クラシック音楽をやる意味は自分にはないと思うようになり、教室には行かなくなりました。

中学生時代にはジャズとアメリカ、イギリスで流行っているロックやポップスのバンド、を主に聴いていたそうです。

当初、お父様がジャズ喫茶に連れて行ってくれ、矢野さんはカウンターに座り

コーラを飲みながら「次はあれを聴かせてください」と店員さんに注文をしていたそうです!

さらにお父様がバンドが演奏しているクラブ等で「お前、弾いてこい」と言って演奏に参加させていました。

バンドの人が「何か弾けるの?」と言うから、「じゃあ(セルジオ・メンデス&ブラジル’66の)『マシュ・ケ・ナダ』を弾きます」とか言って、普通にバンドと一緒に演奏していたんです。

https://hanatsubaki.shiseido.com/jp/girlsrockbeginnings/11071/
yaya

すでに大人びていてかっこいいですね!

矢野さんX

中学卒業後は、青山学院高校に進学するため上京。

当時、高校で軽音楽部があるのは青山学院だけだったそうです。

1年生のときに学内で作曲コンクールがあり、ベースとドラムと組んだピアノトリオで自作曲を発表し、優勝しました。

軽音部の先輩の一人が、学校外のジャズのサークルや大学のサークルなど、色々なところに連れて行ってくれるようになりました。

そうこうしているうちに、レストランからピアノを弾く仕事をもらうようになった。

夜遅くまで働くので、次の日は朝7時に起きて学校に行く、ということが不可能となり高校を中退したそうです。

矢野さんX
yaya

10代から夢を目指して活躍し本当に素晴らしいですね!

左:矢野顕子さん
  • 1976年:「JAPANESE GIRL」でソロデビュー
  • 1979~80年:YMOの2度のワールドツアーにサポートメンバーとして同行。
  • 1981年:シングル「春咲小紅」がヒット。
  • 1990年:生活と音楽制作の拠点をニューヨークに移す。

1990年に家族でNYに移住。

矢野顕子さんのお子さんが14歳と9歳の時でした。

それまで何度も仕事で行ったことはあったものの、言葉、学校、文化、何から何まで違うので、戸惑うことが多かったけれど、面白かったそうです。

移住したきっかけは音楽と関係ないんですけどね。

ニューヨークにいると、ミュージシャンとしての自分は「何を作っているか」で評価される。

今の私はそれがとても心地よいと思っています。

https://www.cinra.net/article/interview-201510-yanoakiko
yaya

環境に合わせて行動できる適応能力も素敵ですね!

矢野顕子のプロフィール

profile

名前:矢野顕子(やの・あきこ)
生年月日:1955年2月13日
年齢:69歳(2024年現在)
出身地:青森県青森市
職業:シンガーソングライター
生誕時の姓:鈴木顕子(1974年-1979年まで矢野誠と婚姻関係にあり、この時の名が世に知れ渡っため、離婚後も矢野の姓を使用。1982年に坂本隆一と2度目の結婚)

まとめ

いかがだったでしょうか。

幼少期から音楽に触れ、10代には大好きだった音楽を仕事していることが本当に素晴らしいですね!

これからも益々のご活躍を期待しています!

最後までご覧いただきありがとうございました!

和田毅さんの若い頃篠原ゆき子さんの若い頃も是非ご覧ください!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

『yaya web』の運営・執筆をしておりますヤヤと申します。

当ブログをご覧いただき、ありがとうございます!

話題になっている出来事やエンターテインメント、トレンド、カルチャー等、さまざまなジャンルに焦点を当てたブログです。多岐にわたるテーマを取り上げ、読者の皆さまに楽しんでいただけるコンテンツを提供しています。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次