2024年6月26日、富士山8合目で男性の登山者が意識を失い、同行者が110番通報で救助を求めました。
意識を失ったのは、プロクライマー 倉上慶大さん38歳でした。
警察と消防が現場に向かい発見・救助し、倉上さんは富士河口湖町の病院に運ばれましたが、死亡が確認されました。
あまりにお若いので気になり、今回は倉上慶大さんについてまとめてみました。
倉上慶大のプロフィール
名前:倉上慶大
読み方:くらかみ けいた
出身:群馬県邑楽郡
生年月日:1985年12月生まれ
年齢:38歳(2024年現在)
職業:プロクライマー
国内外の岩場でのルート開拓や単独登攀に最も情熱を注いできました。
プロクライマーとして活動する傍ら、日本の伝統楽器の尺八の修行にも励んでいます。
倉上慶大は新潟大学出身
倉上さんは群馬県の山の少ない村で育ちましたが、子供の頃から木登りをしてよく遊んでいました。
高校生の時に山岳部に入部します。
2004年に新潟大学で物理学を学ぶために新潟県に移り住みました。
住所:〒950-2181 新潟県新潟市西区五十嵐2の町8050
TEL:025-223-6161
偏差値:49~75(学部により異なる)
大学生時代は地元のクライミングジムやボルダリング場でボルダリングを始めました。
大学で物理学に傾倒するあまり、大好きなクライミングを半年間休止してまで大学院に進みました。
倉上さんは物理学の修士号を取得し、10年間ハイボルダリングに専念しました。
物理学の修士号を取得するのは素晴らしい成果ですね!
倉上慶大が尺八をはじめたきっかけ
倉上さんはパタゴニアのクライマー、ニコラ・ファブレスとショーン・ヴィラヌエバ・オドリスコールが楽器を弾くことに感銘を受けました。
2人はクライミングにギターや縦笛を持ち込んでいました。
それまでは倉上さんの中でクライミングは普段の生活と切り離されたところにあるものでした。
しかしながら彼らは、ライフスタイル、生活の中にクライミングがあって、音楽がそれを繋げていることに、倉上さんは魅力を感じました。
よく行く山梨に尺八のお店があり、目の前で吹いてもらったらその場で虜になり、その日に注文をしたそうです。
その店をきっかけに岩間龍山・都山流尺八師範に師事します。
今では龍心という竹号(都山流の中伝終了者に与えられる名前)をもち、フィールドには尺八を欠かさず持ち出しています。
まとめ
ここまで倉上慶大さんについてまとめてみました。
界隈を牽引していくような存在だっただけに、 亡くなるにはあまりにも早すぎますね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
倉上慶大のwikiプロフィール経歴!千日の瑠璃クライミング初登攀も!ご覧ください!