比嘉もえ選手はアーティスティックスイミングの日本代表選手です!
日本史上最年少の14歳で世界選手権に出場し現在は日本を代表する選手と成長しました。
2024年5月10日には比嘉もえ選手がパリオリンピックのデュエット代表に選ばれたと発表されました。
パリオリンピックを目前に、比嘉もえさんにいま注目が集まっています!
今回は比嘉もえさんの父親が気になりまとめてみました!
比嘉もえの父・比嘉寿光のプロフィール
比嘉もえ選手の父親は元プロ野球選手で広島カープに所属していた比嘉寿光さんです!
名前:比嘉寿光(ひが としみつ)
生年月日:1981年4月19日
年齢:43歳(2024年現在)
出身:沖縄県島尻郡豊見城村(現・豊見城市)
身長・体重:185㎝・87㎏
比嘉もえの父・比嘉寿光の学歴・経歴まとめ
比嘉もえ選手の父、比嘉寿光さんの学歴・経歴は以下の通りです!
- 高校:沖縄尚学高等学校
- 大学:早稲田大学
- 広島東洋カープ選手 (2004 – 2009)
- 広島の球団広報(2009 – 2016)
- 広島の編成部(2016 ー)
それではどんな学歴・経歴を送ってきたのか1つずつ見ていきましょう!
比嘉もえの父・比嘉寿光は沖縄尚学高校出身
父親の比嘉寿光さんは沖縄尚学高校出身です!
住所:〒902-0075 沖縄県那覇市国場747
TEL:098-832-1767
偏差値:48 – 67
比嘉寿光さんは3年生で4番の主将を務めました!
1999年のセンバツ高校野球では沖縄に初の優勝国旗を持ち帰ることとなりました!
夏の甲子園、第81回大会でも4番・ショートとして攻守に活躍しました。
1回戦の酒田南(山形)戦では勝ち越しの本塁打を含む2安打2打点を記録しました。
2回戦で都城(宮崎)に完封負けし、春夏連覇を逃してしまいました。
比嘉もえの父・比嘉寿光は早稲田大学出身
2000年4月、早稲田大学に進学します。
住所:〒169-8050 東京都新宿区戸塚町1丁目104
TEL:03-3204-4604
偏差値:62.5〜70.0(学部により異なる)
大学では寮生活がはじまります。
1年から4年まで一度もベンチ入り可能な30人のメンバーから外れることはありませんでした。
もしメンバーに残れなかったら、寮から出て一人暮らしをしなければいけなかったそうです。
大学3年時には1学年上に和田毅投手(現ソフトバンク)、1学年下に田中浩康内野手(元ヤクルト、DeNA)、2学年下には武内晋一内野手(元ヤクルト)がいました。
早大野球部黄金期となり、秋のリーグ戦を制覇しました。
比嘉もえの父・比嘉寿光は元広島東洋カープの選手
2003年ドラフト3巡目で、広島東洋カープへ入団します。
2004年から2009年まで活躍し、投打は右投右打で、守備位置は主に三塁手でした。
2005年には全8試合出場ヒット3本という結果を残しています。
最高年俸は1300万円でした。
2009年10月9日には戦力外通告を受けました。
プロ5年目(2008年)のオフに右肘を手術して、コンディションが良くなったものの、現役は続けられませんでした。
比嘉もえの父・比嘉寿光は広島の球団広報に転身
2009年の現役引退後、広島の球団広報に転身します。
中国新聞とNHKで1週間ずつ研修し、「比嘉ブログ」を立上げます!
広報だからこそ書ける内容で、選手のオフショットや、球場の裏側の選手の表情を見ることができました。
写真にある選手の表情は、とても穏やかなものが多かったそうです。
「比嘉ブログ」を探してみましたが、現在は残念ながら閲覧ができないようです。
野球選手をやめて何ができるかと考えた時、選手たちの良さを伝えたいと思いました。
ユニホームを着ていないところでも、選手の性格や良い面を発信しました。
比嘉さんはカープ女子の火付け役と言われいます!
グッズ販売や飲食物も女性が好むものを増やしていったそうです。
比嘉もえの父・比嘉寿光は球団編成部で編成課長へ
比嘉さんは5年間球団広報を務め、2016年から編成部へ異動となりました。
現在は球団編成部で編成課長を務めます。
比嘉さんがカープのチーム作りの中心となっているということです!
比嘉さんはご自身の将来の目標について「現場復帰にも興味あります」と語っているそうで、監督を期待する声もあるそうです!
まとめ
ここまで比嘉もえ選手の父親、比嘉寿光さんについてまとめてみました。
比嘉もえ選手の身体能力は父親譲りなのかもしれませんね!
最後までご覧いただきありがとうございました!
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