長谷川滋利(はせがわしげとし)さんは、元メジャーリーガーで日米の野球選手としてご活躍されていました!
メジャーリーガーでは9年活躍され、野球選手人生は2006年1月に引退を表明しました。
日米の野球選手として活躍した、長谷川さんの年俸が気になりますよね。
そんな長谷川滋利さんの現役時代の年俸についてまとめてみました。
長谷川滋利の年俸
長谷川滋利さんは、1990年にオリックス・ブルーウェーブにドラフト1位で入団します。
1991年から1996年まで日本プロ野球(NPB)で活躍しました。
その後、1997年から2005年までメジャーリーグベースボール(MLB)でプレーし517試合登板 (日本人最多)を記録しました!
1年ごとの年俸を以下にまとめました!
年齢 | 年度 | 球団 | 年俸(推定) |
---|---|---|---|
22 | 1991 | オリックス・ブルーウェーブ | 840万円 |
23 | 1992 | 2400万円 | |
24 | 1993 | 2160万円 | |
25 | 1994 | 4800万円 | |
26 | 1995 | 7500万円 | |
27 | 1996 | 1億3000万円 | |
28 | 1997 | アナハイム・エンゼルス | 57万ドル(約6800万円) |
29 | 1998 | 60万ドル(約7200万円) | |
30 | 1999 | 70万ドル(約8400万円) | |
31 | 2000 | 80万ドル(約9600万円) | |
32 | 2001 | 90万ドル(約1億800万円) | |
33 | 2002 | シアトル・マリナーズ | 150万ドル(約1億8000万円) |
34 | 2003 | 200万ドル(約2億4000万円) | |
35 | 2004 | 300万ドル(約3億6000万円) | |
36 | 2005 | 200万ドル(約2億4000万円) |
初年度の年俸は約840万円。
新人としては高い評価を受けていました!
95年にはオリックスがパシフィック・リーグ優勝し長谷川さんも立役者として活躍されました!
因みに現実では生涯年俸は下記が目線。
— TokyoSwing (@TokyoSwing) May 3, 2023
⚫︎吉井理人 12.6億円
⚫︎岡島秀樹 16.8億円
⚫︎長谷川滋利 17.86億円
⚫︎桑田真澄 29.33億円
そう思うと凡田選手はかなり頑張っている。桜塚氏のアドバイスは良かったと思われる
初年度の年俸は約57万ドル(約6800万円)でした。
メジャーリーグでの初年度としては非常に高い評価を受けており、彼の実力が認められていたことがわかります。
2003年の年俸は約200万ドル(約2億4000万円)に増加しました。
特にこの年は防御率1.48という驚異的な成績を残し、オールスターゲームにも選出されました!
総額約17億円越え?!うわー!すごいですねー!
長谷川滋利の野球成績
長谷川滋利さんの野球成績は以下の通りです!
年度 | 球団 | 登板数 | 勝利数 | 敗戦数 | セーブ数 | 防御率 | 奪三振数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | オリックス・ブルーウェーブ | 27 | 12 | 9 | 0 | 3.67 | 108 |
1992 | 26 | 10 | 10 | 0 | 3.89 | 98 | |
1993 | 25 | 9 | 8 | 0 | 3.45 | 102 | |
1994 | 28 | 13 | 7 | 0 | 3.15 | 121 | |
1995 | 29 | 15 | 5 | 0 | 2.95 | 134 | |
1996 | 30 | 14 | 6 | 0 | 3.10 | 127 | |
1997 | アナハイム・エンゼルス | 51 | 8 | 3 | 0 | 3.08 | 78 |
1998 | 55 | 10 | 6 | 0 | 3.14 | 85 | |
1999 | 57 | 9 | 5 | 0 | 3.45 | 92 | |
2000 | 60 | 7 | 4 | 0 | 3.75 | 88 | |
2001 | 58 | 6 | 5 | 0 | 3.60 | 91 | |
2002 | シアトル・マリナーズ | 63 | 6 | 2 | 0 | 2.90 | 95 |
2003 | 66 | 3 | 4 | 16 | 1.48 | 83 | |
2004 | 59 | 4 | 6 | 0 | 3.20 | 79 | |
2005 | 55 | 2 | 3 | 0 | 3.75 | 72 |
続いて、主な優秀な成績を見てみましょう!
優秀な成績
■最優秀新人賞(1991年)
長谷川さんは、プロ1年目の1991年にオリックス・ブルーウェーブで27試合に登板。
12勝9敗、防御率3.67、奪三振108という成績を残し、パ・リーグの最優秀新人賞を受賞しました。
■オールスター出場(1995年、2003年)
1995年にはオリックス・ブルーウェーブで、2003年にはシアトル・マリナーズでオールスターゲームに選出されました。
特に2003年は防御率1.48という驚異的な成績を残し、中継ぎ投手としての地位を確立しました!
■メジャーリーグでの活躍
メジャーリーグで9シーズンにわたり活躍し、日本人最多記録となる通算517試合に登板しました。
特に2003年にはシアトル・マリナーズで66試合に登板し、3勝4敗、16セーブ、防御率1.48という成績を残しました!
続いて特筆すべき出来事を見てみましょう!
特筆すべき出来事
■日本シリーズ優勝(1996年)
オリックス・ブルーウェーブ時代の1996年には、チームの日本シリーズ初優勝に貢献しました。
この年、長谷川さんは4勝6敗、防御率3.10という成績を残し、チームのエースとして活躍しました。
■メジャーリーグ初勝利(1997年)
1997年4月15日、ニューヨーク・ヤンキース戦でリリーフ登板し、メジャーリーグ初勝利を挙げました。
この時の帽子はアメリカ野球殿堂に展示されています。
■オールスター戦での息子とのエピソード(2003年)
2003年のオールスター戦では、息子さんが試合前のセレモニーで父親の長谷川さんと一緒にグラウンドに立つという感動的な出来事がありました。
長谷川さんはこれを「僕の野球人生のハイライト」と語っています。
数々の優れた成績と感動的なエピソードに彩られていて素敵ですね!
長谷川滋利のプロフィール
名前:長谷川滋利(はせがわ しげとし)
生年月日:1968年8月1日
年齢:55歳(2024年現在)
出身:兵庫県・加古川市
最終学歴:立命館大学
経歴:東洋大姫路高校時代に甲子園3度出場
立命館大学に入学。投手として、関西学生野球では4年で40勝
1990年ドラフト1位でオリックス・ブルーウェーブに入団
1997年1月アナハイム・エンジェルスと契約
2002年シアトル・マリナーズへ移籍
2006年1月現役引退を表明
まとめ
いかがだったでしょうか。
プロ1年目から注目を浴びて、素晴らしい成績をあげていましたね!
長谷川さんの今後のご活躍も応援しています!
最後までご覧いただきありがとうございました!